ジーン・ウルフ『ピース』

こんなIDにしたくせにいまさら読んだ。

前評判は面白いとされつつ、重厚とか難解とか油断ならないとか言われているのでああどうしよう恐いなあと恐れつつ読むも、『ケルベロス〜』よりも、もしかしたら『デス博士』よりも読みやすい。

全体を手堅くまとめる「古き良きアメリカ」と思われるエキゾチックで幻想的(というか時代背景をいまいち把握出来てないのだが)な濃い雰囲気に、なんかやたら鮮やかな情景描写、場面は次々変わり全く停滞が無く読め(人名が出るたびにページを行き来するが)かなり映像的(別に好きな監督でもなく映像化も望まないが絵だけで言うとレオスカラックスのイメージ…)
そこに挟まれるお話、語られるお話、中断されるお話。

なるほどおもしろいおもしろい!
結局自分は「お話」好きなんだよなと思い知る。
でもお話という形はとてもシンプルで紋切り型になるのは仕方ない、入りやすいものほど飽きやすい。
だから技巧とか仕掛けと評されている部分は、あくまで「のめり込む」ためのテクニックであって、すべてはただ「お話」のために書かれているものだと思い面白く読んでいたわけだが、
訳者による解説部分に、この小説における「仕掛けがあると思われる繋がる箇所、何かあると思われる整合性の無い箇所」が提示され「さあ、君も君なりの『ピース』を解釈してみよう!」みたいなものが載っていて、うーーーーーん。

そう言われると確かに何かしら意図されてるような繋がりや台詞はあるが、それは「解釈」しないと駄目?という、「背景に隠された謎とか不可解な点をスルーしつつ、かつとても面白く読んだ人間が抱くストレートな反発心」をストレートに抱いてしまったのだが、
何よりその解説文に例として提示される「解釈」がなんともしょぼい、魅力が無いのが気になる。以下解説の内容が少しネタバレだが、


オールデン・デニス・ウィアが死んでるとか悪魔だとか、それによって今まで読んだものの見方が変わらないと思う。「となりのトトロ」のメイとサツキが死んでる都市伝説くらいどうでも良い。誰かが誰かを殺してることで何かが揺らぐようなお話とか構造ではない(と思う)。
記憶も現実も幻想も混ざるまでもなく整合性は無く適当なものだ。

「意味の無い整合性の無さ」はお話にとってすごく大事だと思っているので(それ事体が面白みだから)読み解こうとする時にその「整合性の無さ」が引っ張り出されるのが何とも嫌だ。
(そしてなにより面白い本を自分のつまらん解釈で小さくまとめるのももったいないからしない!)

内容を全然分かってなくても面白い、というのが小説の素晴らしいところであると思うがしかし私も結局どう面白かったかを全く語れておらず困る。


それにしてもなんで国書刊行会はハードカバーにスピンつけないのだろうか。