舞城王太郎の『呪われた被虐者であり続ける可哀想な女の子を守るという立場に置かれた男の活躍と、そしてやがてその女の子から如何に離れるか』の話

新潮1月号掲載、舞城王太郎『淵の王』は中編の連作。
三部構成でそれぞれタイトルは主人公の名前となる。
最後、三話目のタイトル=主人公は『中村悟堂』。

読んで思い出したのが過去の短編『ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート』と『添木添太郎』。
それぞれ違う単行本に収録された全然違う話ではあるが、どこか似た設定が使われており大まかに言うと

『呪われた被虐者であり続ける可哀想な女の子を守るという立場に置かれた男の活躍と、そしてやがてその女の子から如何に離れるか』

こういう「守るべきヒロイン」から離れることを主題にした話は案外少ない気がする。*1
被虐者となる女の子達は皆良い子だ。何をもって良い子とするかはともかく皆基本的に朗らかで大人しい。*2
そして自らの呪いに悲しい諦めがありやるせない。(呪いという言い方はあくまで仮であり具体的に言うと身体的な超能力みたいなものが備わっていて、悪意ある人間にその能力につけこまれ酷いことされたり利用されたりする。一つの話に限り、女の子の呪いは身体的なものではなく「悪い物を呼ぶ」という漠然とした形である)彼女達は「影のあるキャラクター」程度ではなく、確実な「負」(ある話では最低な表現として「傷物」という言葉が出て来る)を背負う。

この設定の話にはさらに、呪われた女の子とは別に、健全な明るく美しい女の子が、話の始めから主人公に近い位置で出てくる。しかし対比が痛々しいとかそういう描写は無い。どちらも分け隔てなく魅力的に描こうとしているのが伝わり、そしてその健全な女の子も皆良い子で(呪われた女の子とも仲が良い)、常に正しく行動し主人公を確実に動かして行く(ヒーローの位置へひっぱっていく)。その三人で協力して、呪いというかそれによって巻き込まれるトラブルに対抗していき話は進む。敵は普通の悪意ある人間。






以下 内容が少し〜結構ばれる。

ある話では、主人公は激しい活躍を見せた後、日常に戻り健全な女の子とも呪われた女の子とも「なんとなく」疎遠になって終わる。疎遠になったまま呪われ続ける女の子のことを(愛とか恋でなく友人として)なんとなく想っている。(全然関係無いが「人のセックスを笑うな」の最後の台詞に近い)舞城によく出て来る「祈り」であり、悲しいがしかし後味の悪い話ではない。


また違うある話では主人公は明確な意思をもって呪われた女の子と決別する。主人公は「正しい道を選んだ」と思う。呪いと悪人と戦う冒険の日々が今後も続くとするとそれはただの冒険ではなく主人公の人生に確実に影を落とす。呪われた女の子は当事者なので、その「間違い」が分かり、泣きながら、背負った「不幸」の影により「美しくなった」自分を憎みながら、とにかく泣きながら主人公と離れる。
私はこの話だけはこの決別に対して不満と言うか辛い気持ちがかなり残り、そういうのも意図されてるのだろうが、救えないものを背負って不幸になるのは正義でも美徳でも無いんだけれど、どうしてもその、虐げられたものを救い出す・救い出せるという幻想がこびりついているなあ…
とか読んだときはそこまで思わなかったけれど、そう考えると「祈り」で終わった話は残酷な自己満足なんだろうけどそういう風にばっさり言い切れるものじゃなくて「祈り」の気持ちは大事だよね、みたいなゆるい結論に落としがちで、正しく強く終わる話は苦手気味だ。*3


そしてもう一つのある話では、主人公は健全な女の子が恋人的立ち位置にいるにもかかわらず、呪われた女の子(恋愛関係にあったわけではなく、離れた場所に住み、既婚)の存在を抱えたままでいる。そこには愛や恋があるというよりも、軽く口にした「自分が助ける」的な言葉を捨てられないだけだ。「助ける」のは良いこと・正しいことだから。しかし現実のトラブルが重なり自分には手に負えない(自分の持つ色々なものを犠牲にしないと呪われた女の子を救えない・というか救えるかもわからない)ことをようやく認めたのかその使命感と決別することが出来て健全な女の子のもとへ急ぐも彼女は失踪する。(むしろその後が本筋)






呪われた女の子は救えず離れることになるこれらの話を(ありがちなパターンとしての)男女のナルシスティックな共依存を否定する話と思うと前向きで熱くヒューマンだが、救われない取り残された女の子をどうにかしろよと思うも、どうにか出来ないことこそがやはりヒューマンなのだろうけど。(しかしそこで納得して忘れてはならず、何も出来ないうちはせめて祈ってろよ!的なメッセージかなとか思っていると、そうやって分かりやすくまとめて何でも言葉にするなと釘をさされるラストが多い舞城)

違う言い方だと自分の意志とは何なのかを問う話でもあり、与えられた「特別な」役割の奴隷になってはいけない的な説教臭さもある。「それは自分の意志なのか」を問う話*4は多いけど、自分の意志なんて所詮ただの脳内物質の奴隷でありそれで良いと思うのだが 。

それにしてもこの被虐者となる女の子をイコール「メンヘラ」と置き換え、「まあそういう人とは離れた方が良いよね」という合理的理性的な結論の話と捉えるのは、それはそうだろうが、たとえばスピッツの「ナイフ」*5 という曲のナイフは男性器だという解釈くらい、それはそうかもしれないがそれだけじゃないしそれが本筋ではないだろうというか、ムっとした気持ちになる。

そしてこの設定の新しい話、出来れば被虐者であり続ける女の子の生き方も見てみたい。

*1:知っている狭い範囲内では。この逆にあたる「弱い私がこのままあなたに守られてたら駄目になるから離れるわ」みたいなのは少女漫画のラストに多い気がするが思い浮かべていたのは岡田あーみんだった。

*2:杣里亜は当初自らを守るために突飛な行動をしていたが

*3:『無駄口を数える』など

*4:『やさしナリン』

*5:youtubeに丁度無い